節約しすぎて後悔する安易な簡素化の罠
葬儀の無駄を省くことは経済的な負担を減らす賢い選択ですが、あまりにも「無駄=悪」と決めつけて何でもかんでも削減してしまった結果、葬儀全体が貧相で味気ないものになり「これでは故人が浮かばれない」と後悔する遺族が少なくないことは心に留めておくべき教訓です。例えば祭壇の花を極限まで減らしたら遺影がポツンと置かれただけの寂しい空間になってしまい参列者に申し訳ない思いをしたり、料理のランクを下げすぎて冷たくて美味しくない弁当を出してしまい恥をかいたり、プロの司会者を削って自分たちで進行しようとしたらグダグダになって収拾がつかなくなったりするなど、節約が裏目に出るケースは枚挙に暇がありません。また湯灌(ゆかん)や死化粧といった遺体のケアに関する費用を「どうせ燃やすから無駄だ」と削ってしまったために、闘病で痩せ細った顔色の悪いままの故人と対面することになり、もっと綺麗にしてあげればよかったと何年経っても悔やみ続ける遺族もいます。葬儀における「無駄」と「ゆとり」は紙一重であり、無駄に見えるものが実は式の品格を保ったり遺族の悲しみを癒したりするために機能していることもあるのです。安易な簡素化の罠に陥らないためには、自分たちが何を大切にしたいのかという優先順位を明確にし「ここは削るがここは豪華にする」というメリハリをつけることが重要です。例えば祭壇はシンプルにするが棺の中に入れる花はたっぷり用意するとか、返礼品はなしにするが通夜振る舞いの料理は最高級のものにするなど、一点豪華主義を取り入れることで費用を抑えつつも満足度の高い葬儀を実現することができます。節約はあくまで手段であり目的は故人を納得いく形で送り出すことにあるという原点を忘れず、心まで貧しくならないような賢い選択を心がけたいものです。