それは、私が社会人になりたての頃、初めて一人で参列した、上司のお父様の葬儀での出来事でした。マナーには自信がある、と自負していた私は、黒いスーツに身を包み、少し緊張しながらも、堂々と斎場の受付へと向かいました。受付で丁寧にお悔やみを述べ、香典を渡した後、芳名帳への記帳を促されました。帳面は、一人ずつカードに記入する「芳名カード」の形式でした。「これなら、落ち着いて書けるな」。そう思った私は、自信を持ってペンを走らせました。氏名、そして住所。郵便番号から、マンション名まで、完璧に書いたつもりでした。しかし、そのカードを受付の方に渡した瞬間、受付をしていた年配の女性が、少し困ったような、そして哀れむような目で、私にこう言ったのです。「お客様、大変申し訳ないのですが、このペンは、消せるタイプのボールペンのようでして…」。その一言に、私の頭は真っ白になりました。そうです。私が、いつも仕事で愛用していた、便利なお気に入りの「消えるボールペン」で、こともあろうに、葬儀の芳名カードを書いてしまったのです。そのペンが、まさか自分のバッグに入っているとは、夢にも思っていませんでした。受付の方は、新しいカードと、備え付けの筆ペンを差し出し、「こちらでお書き直しいただけますでしょうか」と、静かに言ってくれました。私の後ろには、記帳を待つ人の列ができています。その視線が、私の背中に突き刺さるようでした。顔から火が出るほど恥ずかしく、私は、震える手で、慣れない筆ペンを握りしめ、ミミズが這ったような、情けない文字で、名前と住所を書き直しました。あの時の屈辱と、自分の配慮のなさへの自己嫌悪は、今でも忘れられません。この経験は、私にとって、マナーの本当の意味を教えてくれる、強烈な教訓となりました。マナーとは、知識として知っているだけではダメなのだと。その場その場にふさわしい、細やかな想像力と、万全の準備があってこそ、初めて心が伝わるのだと。それ以来、私のフォーマルバッグの中には、弔事用の薄墨の筆ペンが、必ず一本、静かに出番を待っています。
私が記帳の書き方で顔から火を出した日