通夜や告別式を行わず火葬のみを行う「直葬」は葬儀費用の無駄を極限まで削ぎ落とした究極のミニマリズムとして都市部を中心に急速に普及していますが、これを単なる「安上がりな処理」や「冷淡な行為」と捉えるのは早計であり、むしろ虚飾を排した本質的なお別れの形であるという見方もできます。一般的な葬儀では受付の対応や参列者への接待に追われ肝心の故人と向き合う時間がほとんど取れないという本末転倒な事態が起こりがちですが、直葬であれば身内だけで静かに最期の時を過ごすことができ、派手な祭壇や儀礼的な挨拶といったノイズに邪魔されることなく純粋に悲しみに浸ることができるというメリットがあります。しかし一方で費用の節約のみを目的として安易に直葬を選んでしまった結果、後になって「もっとちゃんとしてあげればよかった」という後悔の念に苛まれたり、お別れの時間が短すぎて心の整理がつかないまま遺骨になってしまったという喪失感に苦しんだりするケースも少なくありません。また親族や知人から「最後のお別れがしたかった」「葬儀もしないなんて非常識だ」といった批判を受けるリスクもあり、社会的儀礼としての葬儀を省略することによる人間関係の摩擦という新たなコストが発生する可能性も考慮しなければなりません。直葬における無駄の排除は金銭的なメリットをもたらしますが、それによって心の充足感や周囲との調和といった目に見えない価値まで切り捨ててしまっては元も子もありません。直葬を選ぶのであれば浮いた費用で故人の好きだった花を棺いっぱいに敷き詰めたり火葬までの数日間を自宅でゆっくり過ごしたりするなど、金銭以外の部分で心を尽くす工夫を凝らすことが「冷淡な処理」に終わらせないための鍵であり、形式的な無駄は省いても心の無駄は省かないという姿勢が大切なのです。