葬儀にかかる費用は決して安くはなく数百万単位のお金が一瞬にして消えていく現実に直面した時多くの人がその出費を無駄だと感じてしまうのは無理もないことかもしれませんが、果たしてそれは本当に無駄なことなのでしょうか。確かに豪華な祭壇や高級な棺や大量の供花は物理的には燃えて無くなってしまうものであり故人がそれを持ってあの世に行けるわけでもありませんが、残された遺族にとっては心の整理をつけるために必要なプロセスであるという側面も無視できません。人は形のない悲しみを処理することに不慣れであり儀式という強制的な枠組みや物理的な空間の演出があることではじめて故人の死を受け入れ別れを告げる覚悟ができるとも言われており、そのための舞台装置としてのお金だと考えればそれは無駄ではなく「心のケア代」とも解釈できるのです。しかしながら葬儀社の言いなりになって不必要なオプションをつけたり見栄を張るためだけにランクを上げたりすることは明らかに無駄であり、故人が望んでいない華美な演出にお金をかけることは誰のためにもなりません。重要なのは金額の多寡ではなくその出費に遺族が納得感を持っているかどうかであり、もし少しでも「もったいない」という疑念を抱きながら支払うのであればそれは間違いなく無駄な出費となってしまい後悔の種となるでしょう。最近では直葬や一日葬といった簡素な形式も増えていますがこれらは単なる節約ではなく「余計なものにお金をかけず故人と向き合う時間にお金をかけたい」という価値観の変化の表れであり、自分たちにとって何が必要で何が不要かを見極める目を持つことが現代の葬儀において最も重要なスキルとなっているのです。結局のところ葬儀における無駄とは金額そのものではなく思考停止のまま支払う姿勢そのものにあるのかもしれません。